本郷文人往来

大正の本郷に出会う

DSCF0044 日が落ちて万物がその色彩を失おうとする迄の色・・・・・燈火(あかり)が光りを増すには僅かな間がある、あの雀色時こそ、私が一番好きな一刻(とき)であり、眺めである。

大正時代はそんな色の時代だったと思う。

「かえろ(原文ママ)が鳴くから帰(かアえ)ろ」と、戸外で遊んでいた子供たちは、石を蹴り蹴り家路につく。

その頃になると、街には夕靄がたなびくのだ。蒔でへっついで、お釜でご飯を焚くからだ。坂の多い本郷の街々は夕霞の底によどみ、家々の灯は次第に数が殖え、誰かが一番星を見つけるのである。

出所『大正・本郷の子』(玉川一郎著、昭和52年)

ぶらりと立ち寄った東大赤門前の古書店で、目ぼしいものもないし出ようか、、、と思ったところで、すっと目が止まった。手繰り寄せられるように本に手を伸ばし、ぱらぱらとめくる。上の引用は本書の書き出し部分であるが、まったく大正時代を知らなくとも、なんとも心惹かれるとともに懐かしささえ感じる。

玉川一郎氏については詳しいことは存知あげない。この著書によると、幼少期にご家族と大陸に渡っていた時期もあったそうだが、多くの時期をこの本郷で過ごされたようである。

明治に生まれ、大正、昭和を生き、本郷を舞台としながらも、世の中の動き、ご自分の回想も交えた人々の暮らしぶり、文化を綴っている。とてもユーモアがあって、語り口も軽妙。

今住んでいる、まさにその場所の当時の姿が生き生きと描かれており、資料的価値以上に読む楽しみを与えてくれる本だ。

出版が昭和52年。古書のみの流通となっている。ご本人もこの本の出版の翌年にお亡くなりになっている。そういう意味でもとても貴重なのである。

菊坂下道は大正当時、「大溝(おおどぶ)」と呼ばれていたそうである。樋口一葉が暮らしていたのもこの辺りだ。

「あの(質屋の伊勢屋)左手の小さな坂を降りて行くと、大溝でしょ。あの突き当たりに、子供相手の駄菓子屋があるでしょう。あれが樋口一葉がお針をし、子供相手に一文菓子を売っていたところですって」

(中略)

~大溝と言われた下水道は、今は暗渠になり、小さな坂は十段ばかりのコンクリートの階段になっているが、菊坂もこのあたりは、大正十二年の大震災で焼けず、こんどの戦争にも戦災を受けなかったので、大正はおろか明治の匂いさえ残っている家並がつづいている。(引用終わり)

DSCF0045 この本が出版されて30年近い歳月が流れている。裏表紙内側に載せられた大震災前の地図は、まさに菊坂上道、本郷通りが中心に書かれている。上道にひしめく商店の数は当時の賑わいを物語るものである。

菊坂の大正、昭和に思いを馳せ、ゆっくりと味わって読みたい一冊である。

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